2013-05-15

路傍のハナ

「ひねくれ者」っていうと思うんですが
私は昔っから、「白か黒か」と言われれば、グレーないのか?
と考えるタイプなんです。
ほんとにその選択肢しかないのか?
どうしてその中間ではいけないのか?
職業カメラマンと写真作家。
これは両立できないのか?
カメラマンというのは、「撮ってくれ」という人がいて
撮って欲しいものを確実に上手く撮る人。
写真作家はその人が撮りたいものを撮って
言いたいことを写真にする人。
一般的には、まー両立しないと言われてます。
今回、5/22から開催する写真展「まなざし」は
前半がカメラマンとしての私。

後半が作家ってほどでもないけど、撮りたいものを勝手に撮った私。
共通項は「ママ」の目線。
でなんとか両立しないかな?と思っているわけです。
いや、色々ご意見があるのは存じています。
自分のテーマと仕事が重なっただけちゃうん?とか。
それって作品なん?とか。
でも、ほら、やってみないと。
なんでも、やらずに嘆くよりはやってみないと。
続けてみないと。
なのでスイマセン、発信します。
ちょっと話が変わりますが
大学の頃は芸術学部しかない学校なので、先生からも
「お前ははやく結婚していいお嫁さんになりなさい」
と言われました。
いろんな意味で失礼な話ですが、
今、早くはないですが結婚もしてお母さんもしてます。
大学には非凡な人にならないと、アーティストになれないと
思っている人が溢れてました。
表現には意志が必要。
どれだけその意志を持っているか。
伝えたい何かがあるから、媒体を必要とするわけで
それが、言語や筆である人、楽器である人、カメラである人
と様々に表現するわけです。
その意志をコンプレックスだと思っている人が多かった。
若い時には、コンプレックスをぶつけるという方法が
手っ取り早い上にエネルギーが溢れて魅力的に見えたんだ
と思うんです。
でも、私はそういう考え方が嫌いでした。
その時は爆発的に見えるけど、
「いやいや、そうではないだろう」と思ってました。
怒りは確かにエネルギー値が高いけど、
静かに満たされた、あるいは、気づかれないけど、じっとそこに在る
あり続ける、生き続ける、そんな静かな力に惹かれるものがありました。
老けてますよね。
今思えば、若いときにしかバクハツってできないから…
という意味もあると思います。
でもま、そういうものばかり撮っていたんです。
卒業制作は「路傍のハナ」でした。
技術も、それを説明する能力も伴わないので
結局なんの評価ももらえませんでしたが。
私の根本はやはり今もずっとそこにあるんだと
変わらないと思います。
そこに在ること、それが光を放っている。
ただただ、それを見過ごさない。
今回は、22日から26日の前半は11組の親子の写真を展示します。
タイトルの「まなざし」を感じられる写真をセレクトしました。
またご協力いただく皆様にはリスクを含めて展示への
確認のメールなどを差し上げました。
どの方も、とても快く応じてくださり、
「初めての育児に戸惑っている中、
母である姿を客観的に写真で見ることで、
母であることへの自信に繋がったから
誰かの子育てのちょっとでも後押しになれるのであれば、
展示してもらっても構いません」
と言ってくれた方もいます。
どこのお母さんと子どもにもある、他者が入り込めないその空間。
七転び八起きの子育てのほんの一瞬。
自分の人生にリンクしてるから、多いに想いを込めて
仕事しています。


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