KYOTOGRAPHIE へ。
KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 へ行ってきました。
京都の15会場で写真の展示がされています。 2016.5/22(sun)まで
ズラズラっと会場ごとの展示の内容をWebで確認したとき、
これは観たいな〜っと思ったのが、
ティエリー・ブェット 『うまれて1時間のぼくたち』 (御池ギャラリー)
クリスチャン・サルデ 『PLANKTON 漂流する生命の起源』(京都市美術館)
アルノ・ラファエル・ミニケン 『Snake in the Water』(建仁寺)
に行きました。
その間にある展示も見て回りました。楽しい1日でした。
最初に観た、『うまれて1時間のぼくたち』っていう、生後1時間以内の赤ちゃんを撮った写真展は
とても面白かった。
25人くらいかな?ズラズラっと、産まれたての子の写真が飾ってありまして、
実物大よりかなり大きい展示です。
撮影が出産後15分くらいの子とかは 年齢 15 分 って書いてあって、
並べて初めてわかることってありますね。
比較という意味ではないですが、人間の性格はお腹の中からあって、
出てきて60分以内でもしっかり性格が写真に現れるもんだな〜というのが、よくわかります。
強い意思を象徴するように、ギロっとカメラを見ている子。
いや、カメラの向こうすら見据えている子。
大あくびをする子。ぺろっと舌をだしたりおどけてる子、穏やかな顔の子。
生後間もない人間。
写真にすでに力強いものがあるので、
しっかりきっちり写し撮ることが大切で、それ以上はもうないの。
その状態をしっかり写して枚数集めてなんぼ、だから。
変にフワフワさせたり、前ボケ入れたり、色味変えたり
そういう小手先のことじゃ無いんだな〜と思いました。
そのままをきっちりしっかり撮ること以上のことが必要ない。
揃えて撮る威力をね、見せつけられたのでした。
ああ、そうなだな〜と思って。
フワフワっとした女子写真もいいと思う。
けど、もっともっと、撮る意味考えて、撮ったらなら、
必然的にそうはならないんじゃないか、その選択はしない、と思うな。
それって言わば、何食べてもケチャップ味みたいなもんで、
せっかくの素材の味を無視しているような気がするんですよ。
例えば、自分んちの子でもない「よその子」の生後間も無い写真を撮るとしたら?
二度とは来ない、二度と撮れない、貴重な生後15分の顔。
もっと撮る前に撮る意味を考えるんじゃないだろうか?
それと同じく、うちの子も、例えば、6歳5ヶ月と10日の子。
これは二度とは来ないわけだから、
目まぐるしく変わる生後すぐとは違って違いが分かりにくい としても
やっぱり同じ、貴重な一瞬だな〜と思うのです。
他の展示(プランクトンの世界、建仁寺)に関してもまた書きたいと思います。
今回ギャラリーを回る際に撮った写真。
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