レシピ。
今、撮影をさせてもらっているパンの本では、『レシピを作る』ということをされています。
パンの材料なんてのは、だいたい決まっているもんで、とくに製菓の材料はきっちり計量して、勝手に数値を変えたら失敗の元。だと子どもの頃は思ってきました。
でも今は(私は子どもたちにおやつを割と作るのですが)それはそれはテキトーなんですね。
なんというか、このくらいの固さ(柔さ)だったら、だいたい上手くいくんじゃない?とか
ここでしばらく生地を寝かせれば上手いこと行くであろうと想像はつくが、そんな時間もない。
とか、そーいういい加減、極まりない心持ちでもって作り始めているので、上手くできても二度と同じものは作れない… という一期一会なお菓子で、そんな料理がほとんどなんですね。
ま、気分次第。
一応、雰囲気で材料の種類と割合を覚えているかなぁぁぁってぐらいです。
ほら、電子式の計りだと、一旦数値をゼロにできるから、あれのおかげでとっても楽になったのよね。
この前作ったクッキーは、型抜きも面倒だし、オーブンシートにそのままダラっと広げて、焼けたら四角にカットするってなもんでしたが、
色も味もおお!これはほらっ…森永のムーンライトちゃうんか?って味でした。
でも、またアレって言ってもそりゃ無理なんです。
割とバターが多めの感じだとああなるみたい。と学ばない。
で、話は戻って、レシピを作る人って、日々実験をしているんですね。
だったら、ミルクを何%増やしてみよう。とか
混ぜ方の順序を変えてみよう。とか
焼き型の素材を変えてみよう。とか
でも、寝かすことはとても大事だったり、温度管理をきっちりと発酵時間を計測したり
守るべきポイントはきっちりと。それは外せない基本なんだと。
そんな細かいことを、何回も何回もして、それでもって「これでイケる」って細かく詳しく考えてはるんですね〜。
ま、本になりますし、それを頼りに見た人は作りますからね。
責任感が違います。
うん。
今の時代、今の風潮、今の感覚、今の便利な器具、今のキッチン。
そりゃ、それなりに変更が加わっていくものなんだなぁと。
都度見直しはそりゃ必要だよなぁと。
誰かがこうしてレシピを作ってそれを享受しているんだな〜って改めて思ったんです。
写真はどうでしょうか?
誰かのレシピ通りに作るものだろうか?
この微調整、実験を繰り返して自分で作るものなんじゃないだろうか?
カメラはどうでしょうか?
機械だから、勝手に触ったら壊れてしまう。
on と off しか触ったらダメだめっ と思っている人はそんな風に思い込みがある。
それって、勝手に変えたらダメだっていう考え方の癖づけ、みたいなもんじゃないかな…と思ったんです。
パンのような決まっているように思えるレシピでさえも、いろいろ変更を加えるチャレンジがある。
好きな写真なんてもっと感性のもんなんだから、どんどん挑戦していいんだよな。と思ったのでした。
複雑な顔しているカメラに、萎縮したらあかんよなってこと。
それよりも、今あるこの現象と、自分が欲しいと思う状況と、混ぜ混ぜして絵にしてくれる箱だと思ったらいい。
なぜか心が動いたその瞬間を、時間を固めるような楽しみを残せる、そんな楽しいビックリ箱だな、と思うのです。
世界一有名な素人写真家 ラルティーグの写真を見てちょっとそんなことを思いました。
思うようにいかなかったり、なかなか辿り着けない。それはそういうもんです。
だから、また楽しかったりするんでしょうね。
ま、今欲しいと思うその箱は、高いんですけどね。
高いんだよっ。
写真は動物と話せる長女。
彼女は動物を食べることに疑問を持っている。
これ、クエだと思う。クエ鍋。
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