観る時間。
先週は KYOTOGRAPHIE を観に行きまして、
そして、もうひとつ、京都国立博物館で開催されていた、池大雅展も観に行きました。
京都には、国立近代美術館もあるしね。文化博物館もある。
今、住んでいるところからは割とアクセスがいいので、「ヨシ!行こう!」と自分さえ決めれば電車一本すぐ行けるのです。
まず、KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭は、今年で6年だそうで、
京都のいろんな場所で、同時期に写真を主にした展示やそれにまつわるトークショーetc があるというもので、毎年の楽しみの一つになっています。
今年のテーマは 「UP」ってことでしたけど、事前にwebを観ても、とっても伝えにくいというか、??ではありました。
で、まー絞って4箇所ほどしか行き(行け)ませんでした。
「ギャラリー素形」で展示された、須田一政をどうしても見ておきたかった。
昔の写真なんですがね、ズドーンと知らない人が写っているんですがその勝手に撮られた人たちはそれぞれ全然撮られている気配も感じずに、むき出しのままに写っているって感じでね。
だいたい、インパクトのある人を見つけては写真を撮っているんだと思いますが、先生はその周辺の空気を撮っているというか…
そして、その空気も決して、清々しいわけではないのです。
どっちかというと、ベトっとした感じ。
人間臭いの。
今ね、インスタなんか見ていると、みんな湿度が低い写真が好きなんだな〜と思います。
挿絵みたいな写真が撮りたいんだね〜と、見ています。
なんだか、撮り手の意思が見えてはダメ。と言われている気さえします。
撮りたいんじゃなくて、撮らされたいのかなぁ、と。
これはファッションみたいなもんなのかな?
そんな誰でも一緒の感覚は早く終了すればいい。
スマホで他人の撮った写真が見えすぎなんだろうかな。
同じことしたら安心するシステムが起動しすぎなんだろかな…
とか思いながら、
私は須田先生とは1年間だけでしたが、教えていただいたことがあります。学校で。
その時は沖縄も行ったし、千葉の先生のおうちの方にもみんなで撮影旅行に行きました。
先生はよく、「指先にカメラを埋め込みたい」みたいなことを言っていました。
先生、多分、グーグルあたりがもうすぐ作ってくれると思いますよ。
と、まーいろいろと思い出すことがあります。
もう一つ、「今月行く!これ!」と思っていたのが、京都国立博物館での池大雅展です。
博物館ですからね。大がかりです。
たぶん、その前にあの博物館に行ったのは、2000年、伊藤若冲 没後200年の時だっと思う。
それからも今日まで、「あ、これ面白そう!」とか「へ〜、これ知っといた方がいいかも!」
と思う展示があっても
「混んでいるらしい」とか「ちょっと忙しい、しんどい」とか言って行かなかった。
けど、今年は出来る限り、行こうって決めたの。
生まれ変わったというか、必要に迫られたの。
だから、写真展に限らず、美術館とか、遠くてちっさいギャラリーでも、興味があった人とか、逆になんでそんなに騒がれているんだろう?と思う人のも、行って、見て、それでいろいろと考える、ってことにしています。
そうやっていろいろなものを見て、なんでもいいから私の頭の中に残していかないと、薄まっていく一方だから。
スマホや PCからの写真だけだとダメだって思うから。
実行しています。
そんなんで、池大雅の絵はずっと知っていました。
多分日本史の教科書にも出てたかもしれないけど、そんときはあんまり…受験のために覚えるだけだったんだと思う。
そのあと、あの与謝蕪村って俳諧の人と一緒に書いた「十便十宜図」(国宝です)
そのあたりの時代を勉強していたことがあり、この辺の文人画ってのタッチが面白くて。
特に、人物の表現が、なんつーかちょっと間がぬけているというか、
一筆で背中の丸みなんかがうまく表現されていて、ちっさく描かれているだけなのに
「あ、長いこと立ち話して喋ってはるねんな〜」ということがわかるっていうね。
凄いのに、凄くない風。
みたいな飄々とした絵に「なんだろう?これ?」と思って、暇があればその教科書の絵を見ていたのでした。
私の中では、蕪村と大雅ってのは、割と気安い心安い人だったのです。
なので、これは行かなあかん!と。
それでもこんなにたくさんの絵を、本物をまとめて見られて、全然知らない作品も。
わずか50年ほどの池大雅の人生の作品を、時代順に見られて、やっぱり博物館は違うな〜と感動しました。
特に最後の10年の作品は、この人の終盤の盛り上がりは止めどない〜と思って。鳥肌が出ました。構図に。
私はもう、この人は遠い親戚のご近所の人くらいに思っているので、こういうのってDNA に組み込まれていると思う。
この掛け軸の比率にこの構図。この切り取り方。え?まさかそこ??みたいな
この人の大胆な挑戦に感動する 受け継がれてきた感覚を感じました。
そこに刺激をもらえてとっても嬉しかった。
そして、博物館は見に来ている人を見るのもなんだか楽しく、
あと、学芸員の人のこともちょっと見るのが好きだったりします。
頼んでいないのに、うんちくを説明している男性がいます。
なんでも自分の知っていることをまず、言いたい。
なんでもとりあえず批評したい人とか。
そして、感嘆の心の声が漏れ続けている女性とか。
まだまだ、今月は見たいもの、行きたいところがあるのです。
建築をみるという楽しみもあるしね。
これは去年の夏に雪村を観に行ったときの写真。
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