思春期劇場

昨日はお久しぶりに、ママのための写真教室コトリノス事務局の皆さん&コトリノスメンバーの方と、ランチをご一緒しました。

4月の写真展示・グランプリの表彰式が終わって、一息つきっぱなしだったので、
これからの活動など慰労も含めて一度集まりましょうか?という主旨でした。

最近の子育てのことなんかも、いろいろ喋りました。

子どもは日に日に大きくなりますよね。

最初に写真教室に来てくださった時、また0歳だった子、1歳だった子が小学生もそこそこベテランになったなんてことも多々あります。

いつまでも昔の写真見て感傷的になっていても仕方ないのですが…
小さかったですよ、うちの子も。毎日が天使でしたよ。
(そして必ず言います「いや今も可愛いんですよ!」って言い聞かせてる自分に)

大きくなるとういうことは、毎日、毎時間、経験を重ねていくわけで、
小さい時に比べれば、親からの影響は徐々に少なくなり、
友人や先生や本や漫画や映画なんかからも知って考えて
それを塗り重ねて本人が本人を形成していく。

それは本人にしかできないことで、親ができることなどたかがしれていて、
いつも思うんですが「名前を決めること」それでもう終わっているんですよね。
親の支配は。

本人がそれを取り込もうと思わなければ、
本人がそれがいいと思わなければ、
それがカッコいい!そうありたい!と気づかなければ
人は動かない。

大きくなってくると、それが顕著になる。
多分それが本来だから。

どんなにこちらの理想を伝えてもですね、
その時は目先のおこずかい欲しさに頷きはしても
その通り動いたりなんかしない。

そういうもんですよね。


君もか?君も来るか?

子どもって、小さい時は庇護の対象だったから
それ以外の選択肢や世界があるって知らなかったから。

だから、冷たい言い方をすれば、近くの大人に止む無く従っていた。
それだけのことだったのかもしれませんね。

 

そうは言っても、子どもは無条件に親を愛してくれました。

そういう風にプログラミングされていることが多い?

これは先日お仕事で知った方の言葉なんですが、

「子どもは親をなかなか捨てない。
それに引き換え親はどうか・・・」

というようなことをお話になっていました。
これは途上国というか、外国の話でね。

まー子どもって親に忠実なんですよね。
親を幸せにしようと一生懸命やってくれますよね。
多分10歳前後まで。

そこから「自分ってなんだ?」と疑ったりしながら大人になる思春期。

いよいよ自分のために生きていくことを、考え始めるのかもしれませんね。

 

生まれた国や環境、経済格差なんかもあるし、徴兵がある国なんかもあるから、
10代の過ごし方、考え方の基礎もそれぞれなんでしょうけど。

 

大きくなったら言いますよ。
「アンタに産んでくれと頼んだ覚えはない!」とかなんとか…

それもみんな通る道なんでしょうね。

 

そんな時、てか今も、この先も、

カメラを手にしている貴方は何を撮りますか?
何が撮りたいんですか?

撮りたい気持ちがあるから撮る。と思っていました。

今も私はそう思っていますが、
世の中は、そうでもなくて…

誰かが撮った、 SNSでちょっと見かけたその景色を
私も撮りたいから撮る。
あんな風に撮りたいからカメラを手にする。

そういう疑似体験をするツールがカメラになっているのかもしれませんね。

だから、そこに行けば、条件が揃えば取れる景色。
まー条件揃えるのも、もちろん苦労しますけどね。

手軽にそれっぽく、画面で共有する。
それがカメラなんですかね…

とか、最近思っていたんです。

子育てをしていると、
人間をじっくり観察して、こちらも色々試されているな~と思うことばかり。

手軽にそれっぽい子育てなんてないよな~と思うのです。

どんな写真が、何が本質か。
表層部分だけが見える小さいその画面の中に一体何があるのか?

多分、もうすぐ皆んなインスタにも飽きてもうちょっと考え直せばいいのにな~と思っている。

古いのか?
でも時代は回るって中島みゆきも言ってるし。くるっと回転して欲しい。

 

写真教室はまた9月から京都伏見で開催する予定です。
コトリノスのイベントは昨日お話をして、秋に撮影企画をする予定です。
どうぞ、お越しくださいませ。

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください