2016-03-14

お葬式

私の祖父が亡くなりました。

享年96歳。

私の記憶の中で最も古い祖父は、50代でした。
その祖父は母方の祖父で、

父方の祖父は明治生まれの人間でしたので、
神戸のおじいちゃんは若いな〜という印象でした。

よくどこかへ遊びに連れて行ってもらいました。

私たちが京都に住んでいたので、季節の折り、訪ねては泊まって行きました。
カメラを愛して、写真を撮りによく来ていました。

優しい、穏やかな印象で、ニコっと笑う、文才のある祖父でした。

戦争へ行った話もよく聞きました。

祖父が話すとなぜかいつも悲愴感がなくて、

「満州は寒くて朝起きて、用を足したらすぐ凍る。濡れた手ぬぐいを干していたら、朝はカチコチで…」という話はよく聞きました。

終戦の時は、「ずっと一緒にいた馬と離れるのが寂しかった、追いかけてくるから、木につないで、それでもいつまでも鳴いているから可哀想だった」とか、

しんどかった、辛かった。嫌だった。
とか、苦しいという話は聞きませんでした。

しかし、歳をとると人間凝り固まっても来ますし、
体も思うように動かなくなります。

80後半になっても、杖をついて私の個展を観に、心斎橋まで一人で来てくれました。

そんな祖父も90歳を過ぎて、色々難しくなってきたみたいです。

体も頭も。
そこで、私の実家の方へ来ましたが、最後は施設にお世話になっていました。

認知症にも色々あるようですが、
怒りっぽくなる、周りの空気を感じ取れなくなる、というのもその症状の一つのようでした。

認知症関連のニュースや番組はとてもよく見ました。
若年性のものもあるし、ボケ防止と言ってもなかなか思うようにはいかないものですね。

2016年で満95歳になっていました。

祖母も90歳を超えています。
だんだん、人の認識が難しくなっているようで、ひ孫はもちろんわかりません。

孫の私のことも、「あんた誰の子?」ってお葬式で聞いてきました。

でもそこに居るのは、だいたい、祖母が発端な人間ばかりなので、
「ま、オバァが産んだ誰かの子だよ。」と答えておきました。

周囲の人間には辛いものもありますが、忘れるということは、いいことなのかもしれないな〜と思います。

忘れる =申し訳ない という認識があれば、それは忘れた本人も辛いかもしれないけど。

祖父母に関しては、殊に祖母に関しては、忘れてる事を忘れているので、
辛かったはずの事も、嫌だったはずの事も、最期はさっぱり忘れていくのかな〜と思うと、

人生、最期は清算されるのかもしれないな〜と思ったのでした。

おばあちゃんは、おじいちゃんが死んでしまったことも、忘れてしまうだろうか???

それで私はとにかく、おばあちゃんには、この事実を写真で思いだせるようにと思って、
棺に近づくの図をたくさん撮っておきました。

DSC_7386 (1)

それを今日、簡単なデジタルアルバムに編集しました。

 

おじいちゃんは、私の写真をいつでも応援してくれていると思う。

最後、私は
何もできなかったけど、きっと写真が好きだったおじいちゃんなら、
今の私の仕事を喜んでくれていると思います。

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